サボりは私の代名詞

今週のお題「サボりたいこと」

 

今週のお題「サボりたいこと」はまさに私にピッタリだ。いわゆる私の代名詞みたいなものだ。

 小学校の低学年の頃は、とにかく学校が面倒くさかった。よく頭やお腹が痛いとか

言って早帰りした。家の窓から外をボーッと眺めていると向こうから馬場君がやってくる。あのまずい給食のパンを届けに来てくれたんだ。 馬場君は勉強ができた。今どうしているだろう、元気かな。

 近くに保育園があったけど私は入れてもらえなかった。なぜだろう。家にお金がなかったのか、それとも面倒くさかったのかな。学校に入りたての頃、父がよく勉強を教えてくれた記憶がある。教育パパ。母も私が夏休みの宿題がやってなくて、登校日の早朝に蚊帳の中で、一生懸命に教えてくれるんだ。でも私はその時に思った。「今から教えたって間に合わない。自分でやっちゃえばいいのに」と。

 こんなこともあった。夏休みの課題で工作を作っていくのだが、やはりやってない。父親が頑張った。大工の父が家の模型を作った。さすがプロは違う。でも学校へ持って行ったがあまり褒められた記憶が無い。先生もわかったんだろうな親が作ったって。

 そんな私も徐々に目立ちたがりの本性が出てきて活発になっていった。参観日の日だったかな、親にいいとこ見せようと思って、授業で答えがわからないのに「はい、はい」と手をあげ、前に出て黒板の前で「やっぱり、わかりません」と帰ってくる。私って昔から変な女だったんだとつくづく思う。

 就職してからも、そう、その日は家は出たのだがどうしても仕事に行きたくない「具合が悪いので今日は休みます」と電話して映画館に入った。すいていたので、一番後ろの席で母が作った弁当を食べながらロミオとジュリエットを見たオリヴィア・ハッセイとレナード・ホワイテイング、素敵な映画だった。特にロミオ達が敵対するキャピレット家のパーテイに仮装して潜入し、ジュリエットを見つけてその美しさに息をのむシーンは素敵だ。テーマ音楽もとてもいい。よくフィギユアスケートの選手が大会で使っている。その後デイカプリオの映画もあったけど、やはり時代を忠実に表現した前作の方が私は好きだ。まあそんなこともあったが、9年間も一生懸命勤めたんだから許してほしい。こんなこともあった、たまに遅刻した。朝礼が始まっている。壁伝いにそーっと入っていくと、支店長代理が「わかってるんだぞ」と横目で睨む。

 私には子供が3人いるが、こんな私を引き継いでしまったのが、今同居している長男だ。彼も時間にルーズであった。幼稚園の時も朝行く前に四つん這いになり、腰を高くして伸びている。早く行ってくれないかといらいらしていると、義母が自分の娘もそうだったと話す。いわゆる彼の伯母である。変なことが遺伝するものだ。

 よく娘が言っていた。小学校の頃、朝グランドで並んでいると、寝癖のついた頭でランドセルを背負ってやって来るのがいる、よく見ると弟だったと。高校の頃も面談に行ったら先生が、息子の遅刻はとても多くて数分遅れるらしい。早退も多く、だが、必ず理由を言ってから帰っていくらしい。よく学校に呼ばれた。入学式の日に校則のプリントを貰った。茶髪禁止、翌日二階から降りてきた息子の髪は金髪ではないか。それについてはあまりおとがめは無かったが、学業不振、運転免許を早く取り過ぎた事で呼ばれた。学業不振の時はテストの答案に落書きを書いて出したらしい。広い会議室に2組の親子が呼ばれ注意を受けた。「お母さん一言どうぞ」と言われたが声が震えた。運転免許の時は校長室だった。担任の先生が一生懸命フォローして下さった。息子が卒業する日の謝恩会で私は「この愚息が今日卒業できるのはひとえに先生方のお陰です」と言って、大黒摩季さんのら・ら・らを歌った。しかし皆、就職や大学、専門学校などが決まり卒業していくというのに、家の息子はフリーター、その母ちゃんはのんきに歌なんか歌っちゃって。今考えるとばかみたいだ。

 しかし、あの時は大黒摩季さんの音程でバッチリ歌えたのに今は高音が出ない。今はサザンの桑田佳祐さんの音程が合う。先日バレーボールの仲間の若いお母ちゃんが、ご主人の転勤で遠方に行く事になった。彼女に贈る歌として私は図々しくもサザンの東京VICORYをスマホに吹き込み、バレーの連絡網用のラインに載せた。皆いいねって言ってくれたけど、あきれた人もいたかもな、息子は「お母は心臓強いね」と言っていた。

 息子は高校卒業後、バイトで稼いで金を貯め、バンドをやるために東京に行った。が成功はしなかった。でも今は地元で就職し、いろいろな資格を取りまくった。やればできるじゃん。時間にも几帳面になった。変われば変わるもんだ。

 しかし夫が入院し、モンスター化した母の介護、耐えられるのはひとえに君が帰ってきてくれたおかげです。

 サボりは必要だね。明日の英気を養い、人間らしさを取り戻すためにも。