キャンプの思い出
中学時代のキャンプ
中学の時に学校の行事でキャンプに行った。たしか碓氷峠の近くのオンガタカイワとか言ったような気がしたのだが、ネットで調べても出てこない。記憶違いかな。
カレーライスを作ったり、夜はキャンプファイヤー、フォークダンスもやった。オクラホマミキサー。女子のほうが人数が多く私は身長もあり、男役、つまんなーい。その頃の私の憧れの君は隣のクラスのバレー部のセッター、バックトスが綺麗だった。フォークダンスでは途中から女役になった。ふくれっ面をした私の顔を見て先生が気をきかせてくれたのかな。憧れの君とも1回組むことができた。緊張した。
当時、バレー部の試合を見て私もやりたいと思った。中学では演劇部に所属していたが、高校に入りバレー部に入った。生まれながらの運動音痴でレギュラーにはなれなかった。6人制で部員は30人位いたから無理もない。同じ中学から来たバレー部の子もいたし、入部する時には何か恥ずかしいような気がした。当時は外で石を拾ってはプレーした。顧問の先生は高齢でバレーとは無縁のような感じだった。でもその時のお陰で今はママさんバレーを楽しんでいる。
職場のキャンプ
勤めていたときに男性の同僚2人と新潟県の火打山へ登った。途中笹ヶ峰でテントを張って一泊した。とにかく長い道中で疲れはてた。やけに覚えているのは、キャンプで私が飯ごうのお米をといだ時、水が冷たくてちょこちょこっとといだら、まだとぎ汁が白いのを見た、1人の男性がもう1度とぎ直しに行ったことをよく覚えている。女としてはちょっと恥ずかしかった。
家族のキャンプ
子供が小さい時に私の父達とキャンプに行った。その時はバンガローに泊まった。寝る時、板の間で背中が痛かった。父はどこかへ行くのは好きなのだが、すぐに帰りたがる。翌日もっと子供達を遊ばせたかったのにそうそうに帰宅した。海へ行った時も、ちょこっと泳いで暑い盛りに帰って来る。子供達はぐったりしている。
現代は屋外での楽しみ方が人気だ。
たまには少し不便な環境に身を置くことも必要かもしれない。日常何気なく食べているものがキャンプ場で食べるとすこぶる美味かったりする。
おいしいコーヒーを飲みながら、満天の星空を眺めてみたい。
湯飲み茶碗作ってみました
久しぶりに湯飲み茶碗を作りました。結構飲みやすくて気に入っています。後方のどんぶりは毎日のように使います。猫の置物は大分前に陶芸の教本に載っていたのでまねて作りました。威張った感じは我が家の愛猫のココちゃん似です。
陶芸を始めてからもう何年も経ちます。一緒に始めた友人は展覧会で賞をとったりしていますが、私の場合は進歩も意欲もあまり無く自己満足の世界でたたずんでいます。
でも、お茶を入れてみて茶碗の口当たりなんかをチエックしたりはしています。
縄文土器とか凄いですよね。昔の人の感性、技術、当時も今も同じ事をやっていると思うと不思議な気がします。
いい本に出会った
久しぶりにいい本に出会った。「すぐ死ぬんだから」以来だ。2日で読み終えた。
「玄耳と猫と漱石と」 「南州先生大将服焼片」の2作が収められている。安田満著
「玄耳と猫と漱石と」
夏目漱石を朝日新聞に入れるのに功のあった渋川玄耳という人の目から見た猫を介した漱石との交流などを描いている。安田満さんは大正生まれの作家さんだ。難しい読めない漢字が沢山出てくるのだが、その間の文章は飾らなくてわかりやすい。猫を介しての玄耳と漱石のやりとりがとてもいい。現代のようにセカセカせず、時間がゆっくり流れていく。大正元年の頃の時代背景も見えてくる。
「南州先生大将服焼片」
西南戦争の時、もう負け戦とわかっている西郷軍が地元の農民、八五郎達に道案内を依頼して官軍の陣地を突破して山越えをする。死を覚悟した西郷や兵士達との出会いがえがかれている。でも人生の終わりがすぐそこに見えている人達との出会いはなんとも、もの悲しい。
戦後に八五郎と蝦夷探険家の松浦武四郎との出会いがあるのだが、それはかつて松潤が演じたNHKドラマの「永遠のニッパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎」なのだ。松浦は西郷と懇意だったようである。
昔、会社の関係で、親交のあったお寺を訪ねて鹿児島に旅したことがあった。観光バスのガイドさんの話から察すると、西郷さんは凄い人気がある。それに比べて大久保利通さんの人気は今一だ。西郷さん、大久保さんの家族は彼らが新政府の中枢になっていっても、長い間、島津家の家臣だったから肩身の狭い思いはしていたようだ。
尋ねたお寺も明治政府の廃仏毀釈でかなりご苦労したとのことだ。
考えてみれば明治維新から154年しかたっていない。
またいつか、九州を旅してみたい。
夏の恋は虹色に輝く
夏に見たい映画?こういうお題って結構むずかしい。あらすじをバンバン書く訳にはいかないし、さりとて多少は書かないと全然わからないし、頭悩ます。
夏に見たいドラマと言ったら、私の場合、松潤と竹内結子さんの「夏の恋は虹色に輝く」である。あの時松潤は26歳。若いなあ。竹内結子さんもめちゃくちゃ綺麗だった。
子供のうみちゃん役の小林星蘭が可愛くて演技も素晴らしい。脇を固めるキャスト陣もとてもいい感じで、夏にピッタリの爽やかなドラマだ。
2010年の月9で放送していたのだが、私はこの時いったい何を見ていたのだろう?
サスペンスかな?あんな素敵なドラマを見逃していたのだ。
東京タワー
森三中の大島美幸も松潤のファンなのだが、ファンになったきっかけは何?と聞かれて東京タワーを見てからと言っていた。江國香織の小説を映画化したものだ。2人の大学生がそれぞれ人妻と不倫する恋模様。とにかく内容はハチャメチャで松潤演じる大原耕二は特にひどい奴だ。黒木瞳と岡田准一のラブシーンは長すぎて早送りしたくなってしまったが、松潤と寺島しのぶのやりとりは、なかなかおもしろかった。それにしても2004年の映画だから、松潤20歳、凄いシーン撮らされたね。ませてたのかね。でも年してくるとプラットニックラブがいいんだよね。初めて手をつないだとか、雨の日に小さい傘で相合い傘で帰ったら、相手の心臓の鼓動が伝わってきたなんて結構、胸キュンとなっちゃうんだよね。
この映画で印象的だったのは、寺島しのぶ演じる喜美子を見送る時の耕二の表情がすべてを受け入れたようないい顔だった。
小さな田舎町の食料品店で働きながら、知的障害の弟と、過食症の母、そして2人の姉妹と暮らしているギルバートを若き日のジョニーデップが演じている。弟のアーニーはデイカプリオ、凄い演技力である。両肩に重い荷物を背負って生きているギルバートの苦悩がひしひしと伝わってくる。大変な家族を抱えて悶々と悩むジョニーデップの演技も素晴らしかった。
毎日暑いですね。母が施設に入っていたのですが、食べることができなくなり、病院に入院しました。数日間点滴だけで正直もうだめかと思ったのですが、最近少しずつ食べられるようになってきました。数日前に病院の看護師さんから電話を頂き、何かと思ったら母が私にどうしても話したいことがあるとのことで母と代わってもらって話すことができました。「爺ちゃんが一人でどこかに行っちゃって困るから親戚に預けてほしい」とのことでした。考えましたが、爺ちゃんはこの世にはいないとも言えないので、「わかった」と言っておきました。でも元気そうな母の声が聞けて少し安心しました。
暑さ寒さも彼岸まで これから少しずつ涼しくなって秋になっていくんですね。
内館牧子の「すぐ死ぬんだから」を読み終えた
内館牧子の「すぐ死ぬんだから」を読み終えた。
実に痛快だ。スカッとする。私と同世代の人に是非読んで欲しい。元気が出る。
主人公のハナさんは境遇が何か私とよく似ている。商業高校を卒業していたり、実の父親が大工だったり、でも父親が女癖が悪い所は違う。私の父は母一筋であった。
ハナさんは歯に衣着せぬ物言いで痛快だ。長男の嫁に対しての描写が面白い。嫁と姑は永遠のテーマだが、スカッとした表現で気持ちがいい。ズケズケと文句を言うのだが、その中にちょっとだけ優しさが垣間見えるんだ。
うちの長男は昨日1人で山荘に行った。またベランダから暗くなるまでずっと息を潜めて熊やシカがやって来るのを待つらしい。もし来たら写真を送ってくると言ったが送られてこないところを見ると多分来なかったんだろう。上はとても寒いらしい。標高1,500m位だ。
熊やシカの写真もいいが、もう42歳、可愛い女の子とのツウショットの写真とか無いのかね。でもバツイチになった時のことを思い出すとちょっと面倒にはなる。今の生活は気楽っちゃあ、気楽だ。そんなことを言ってると、あっという間に50,60歳になっちゃうんだよね。
人は老いて必ず死ぬ。自分が生きて居る限り、親や友人を見送らねばならない。でもこれから先、おこるであろうことを想像して、あーあなんてため息をついて暗くなっていてもしょうがない。
ハナさんみたいに、おしゃれをして若々しく偽装工作をして、思ったことをバンバンしゃべり、ちょこっと社会に役立つことをさがして見る。そんな生き方もいい。
そして1日1日を大切にしっかり生きることだ。
この本は元気を与えてくれる。読んで良かった。
もののけの世界にようこそ
今週のお題「最近あった3つのいいこと」
最近あった3つのいいこと
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最近のいいことは、あまりびしっとこないですが、たわいも無い事を書きます。
*「変わらないね」と言われ、ニンマリ
久しぶりに3回続けて、ご無沙汰していたそれぞれの友人達に会い、皆に「全然変わらないね」と言われ、ちょっと嬉しかった。家に帰って、息子に「全然変わらないで若いね」と言われたと話したが、毎日ノーメイクの私の顔をみているせいか、「ふーん」と気のない返事。つまらないったらありゃしない。
蔦屋で内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」という本が目にとまり、今読んでいる。78歳の忍ハナは、60代までは身の回りをかまわなかった。だがある日、実年齢より上に見られて目が覚める。「人は中身より外見を磨かねば」と。(カバーの解説より)
私もごく最近までスタイルとか、化粧とかぜんぜん無頓着だった。お腹はぽこっと出ていて凄い格好が悪かった。でもある時、なぜか母と私だけが食あたりを起こし、下痢が一週間続いた。絶食もして、私の腹はぺっちゃんこになった。でも鏡を見て思った。結構いけてるじゃん。それ以来私は見てくれを気にするようになった。それにしてもあの腹は宿便だったのかな。
内館さんの考え方や語り口が自分と共通で実に面白い。
*食品ロスが減った
以前のお題の「マイベスト家電」で冷蔵庫をきちんと整理して食品ロスを無くそうと思い、徹底的にお掃除してどこに何が入っているか把握できるようにした。いつまで続くかわからないが食費の削減に努めたいと思う。
*もののけの世界にようこそ
私は40年間、別荘地の管理の仕事をしていた。
10年ほど前に、別荘オーナーの方が、高齢で、もう遠方から来れないし、娘さんもいらないと言うので何とかして欲しいと言われ、低価格で譲って頂いた。自宅から一時間ほどの距離で土日には親戚やそれぞれの友人を誘って宿泊し、別荘ライフを楽しんだ。
最近は主人の入院などがあり、途絶えていたが、敷地内の草刈りをしなければと思い行くことにした。主人の姉を誘ったら行くとのことで私と息子、主人の姉と娘2人で行って来た。姉達は本支度でやる気満々。息子はビーバーで、私達は鎌で刈った。
主人の姉は私達の結婚には当初、大反対であった。自分と7歳離れた可愛い弟を、3歳年上の女に取られたくなかったと思う。まして私は一人娘で私の親も大反対だった。でも私達は反対を押し切って結婚した。はじめのうちは大変だったが、最近は仲良くやっている。夫が入院してからは運命共同体とでも言おうか、もっと親密になった。夜がふけるまで皆で語り合った。とてもいい時間であった。
以前、雑排槽が2回ほど破壊されたことがあった。多分熊の仕業だと思う。そこでビデオカメラを設置したところ、いろいろな動物が映っていた。熊、ニホンジカ、カモシカ、狐、アナグマ、動物の通り道になっているらしい。私が車で巡回しているとき熊が沢に降りて行くところを見た。中くらいの大きさだったが毛並みが真っ黒でつやつやしていた。しかし、仕事で鈴を付けて笹藪の中に入ったりしたが、40年間熊には出くわさなかった。息子いわく、「お母の加齢臭のせいかも」と失敬なことを言う。
山荘はかなり傾斜地に建っている。ベランダから見る景色は、白樺の木や雑木が立ち並び、まさに宮崎駿のもののけ姫の世界だ。静寂の中をシシガミ様が地面を踏みしめて通り過ぎていく場面が目に浮かぶようだ。息子は1人で来た時は暗くなるまでベランダで耳を澄ませていると少し離れた所をカモシカの親子が通っていったらしい。
動物達の生息域に私達が入っているのだから、とにかく気をつけて共存するしかない。
夏は下界より気温が10度位低い。快適だ。
早く夫の病気が治って山荘に連れてきたい。そして姉達家族と一緒に語り合いたい。
ホタルブクロが咲いていました。
我が家の家電今昔物語
今週のお題「マイベスト家電」
私のマイベスト家電はなんと言ってもパナソニックの55V型テレビである
ユーチューブも見れるし、月々500円でdTVで映画が見れる。ただし有料なものは見ない。
ユーチューブでは嵐のコンサートや松潤の情報なんかを見ている。dTVで志尊淳と入山法子の「きみはペット」を見てから松潤と小雪のDVDを蔦屋で借りてきて、松潤の色気にはまり頭の中は松潤祭りになった。そういえばポツンと1軒家の80代の松潤ファンのおばあちゃんはお元気かな。今も嵐のライブを大音響で聴いているかな。松潤は高齢者にももてるね。嬉しいでしょ? 最近あまりテレビに出ないけど、来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」まで我慢するか。
家電今昔物語、テレビも昔は白黒で映りも今一だった。
夢であいましょう、ジェスチャー、日真名氏飛び出すなんて番組があった。NHK大河の長谷川一夫の赤穂浪士はよく見た。テーマ音楽まで覚えている。黒柳徹子は夢であいましょうに出ていたのに今も現役で頑張っている。私の父はファンだった。
・食器洗機
父の仕事が順調になってきた頃に、食器洗機を買った。母は、はじめは珍しがって使ったが、そのうちに手で洗った方が早いとか言って使わなくなり、そして粗大ゴミになった。父はとにかく新しもの好きで、カーナビも出たらすぐ買って車に取り付けた。私の娘の短大の卒業式の帰り、高速を走っていたらカーナビーが「本線を外れました」と騒ぎ始めた。父は怒ってカーナビをはたいていた。説明書を読まない父は機械がいうことを聞かないといじける。
・冷蔵庫
昭和40年に実家を新築した。その時は冷蔵庫があった。その前の古い家に冷蔵庫はあったのか記憶にない。冷蔵庫が無いという恐ろしい現実の中でどんな生活だったのだろう。夏は渡辺のジュースの素というのがあって、粉末を水に溶かしてよく飲んだ。アイスキャンディー売りがたまたまやってきて、水色や桃色の氷のキャンディーを食べた。美味しかった。昔の魚屋さんの冷蔵庫は木製で金庫のような感じで中に大きな氷が置いてあった。
今、我が家は最新式の冷蔵庫なのに整理が下手で食品をどんどん奥へ押し込み、食品ロスが多くて困る。
・洗濯機
昔はタライに洗濯板でゴシゴシ。そして洗濯機の時代に。
よく歴史館なんかに行くとローラー式の絞り付き洗濯機がおいてあったりしたが、我が家は2槽式からだったような気がする。左側が洗濯槽で右側に脱水槽があった。結構便利だった。そして全自動になった。
・エアコン
家を新築して3年目だが、古い家の時はエアコンは母の部屋にしか無かった。私達は40数年間エアコン無しで頑張った。涼をとる方法はうちわ、扇風機、網戸である。最近こそはしっかり戸締まりしているが、昔は防犯意識はゼロであった。
その他、ほうきが掃除機になり、お釜が炊飯器になった。そして電子レンジ、パソコン、コーヒーメーカーと家電がいっぱいである。これらの家電のおかげで便利な生活ができている。しかし悩みは電気料金の値上げである。
何とか節電して乗り切らねばと思っている。