となりのチカラ君と私の祖母

 昨日「どうする松本潤徳川家康の大冒険」を見ました。いい番組でした。いつもの松潤でとても素敵でした。徳川家康は狸親父のイメージがありますが、どういう風に演じるのか楽しみです。どちらかと言えば、ピリピリしているイメージの織田信長の役もピタッとくる感じがします。

 「となりのチカラ」を見ていると私の祖母を思い出します。祖母は私の母の母で、私の母とその上に姉が1人おります。いつも聞かされていた話は、とにかく人に良くしてあげるのが趣味で、戦時中食料を調達に行った時に困っている人にあげてきてしまったり、母の姉が勤めてからは人にお金を貸してくれと頼まれると自分はないのに母の姉に用立てるように頼んで回収できないこともあったようです。自分の家族のことより他人の悩みに踏み込んでしまうところがチカラ君に似ています。他人を助けることがすごい快感なんだと思います。

 今日はその祖母の思い出を書いて見たいと思います。

祖母は10人兄弟の真ん中で5人目に生まれ、もう打ち止めということで「とめ」と命名されましたが、実際は倍の10人兄弟になりました。実家は紺屋、いわゆる染物屋でした。祖母の一つ話によると、かなり大きな規模の染物屋で使用人もたくさん使っていたようです。学校に行く時も歩かずに馬之丞という使用人におぶって行ってもらいました。庭には立派な藤棚があり、藩の殿様も立ち寄ったとのことです。ところが保証人の印鑑をついてしまい家は没落してしまいました。祖母は製糸工場へ働きに行くようになり、かなり苦労したようです。そしてその後祖父と結婚して2人の子供をもうけましたが、うまくいかず離婚し子供はそれぞれ母は祖母に、伯母は祖父にと別々に育てられました。母と伯母からいつも祖母の酔狂の為に苦労した話を何回も聞かされました。

 祖母は大きな古い家を買って他に2家族にも貸しておりました。今でも祖母の仏壇に年2回もお参りに来てくださるご夫婦がいらっしゃいます。その方は戦後の食料の無いときに両親と子供7人いう大家族でしたが、祖母が「米櫃を開放してくれた」と言うのです。祖母がいなかったらどうなっていたかわからないといつも話してくださいます。そういえば母が「おやきを作っていて、蒸かし上がると子供達が皆待っていてすぐ終わってしまうんだよ」と話していたのを思い出します。

 ご夫婦が帰られた後「ばあちゃん、いいことしたね。」と私も手を合わせました。祖母はお風呂を沸かすのが好きで、いつも焚き口に腰掛けてタバコをふかしながら薪をくべておりました。いつも没落した実家の話をしながら。