オオカミに出くわした父

 この日記が世界中に届くとは言っても見てくれる人がいなければなと思います。お一人の方が見てくださいました。もう一人はスマホから検索した私です。寂しい。けれども正直なところ、いい年してアイドルに夢中になっているおばあさんてどうなんでしょう。知人には知られたくないような。でも見てくださる人がいないと秘密のコーナーのようで、思い切り思いが書けたりもします。だから私の心の記録として残せればいいかな。

 今は大変な時代です。出口の見えない病原菌の蔓延、人の命を何とも思っていないような暴挙、何とか終わらせてほしいです。

 私の亡くなった父は戦前の昭和2年生まれ、15、6歳の時に満州義勇軍として参加しました。両親と弟は開拓団として渡りました。父は毎日満州での出来事を昨日のことのよう語りました。毎日毎日同じようなことを話す父に私はうんざりして聞き流しておりました。でも父が亡くなった今、もっとしっかり父の話を聞いておけば良かったと思います。父は義勇軍として中国に渡ったのですが、母親の死により家族のいる開拓団に合流しました。そして昭和20年8月9日、日ソ中立条約の有効期限内にもかかわらずソ連軍は満州に侵攻してきました。何か今の状況とよく似ています。そして開拓団の逃避行が始まります。逃げてくるとき自分の体を木にくくりつけて眠った話、オオカミに出会った時の恐ろしさ、オオカミをどうやって追い払ったのかはわかりませんが、オオカミは逃げていくときに何度も立ち止まって振り返るのだそうです。父は夜中によくうなされておりました。逃避行の最中、弟は疫痢で亡くなり、父親とは離ればなれになってしまいました。途中、中国の方に助けられ一時その方のお宅で世話になったようです。その方に教わった餃子を父が作ってくれた時があってものすごく美味しくて忘れられません。

 私は今、父の話にしっかり耳を傾けなかった反省として、なぜ戦争が起きたのかを知る為に関連の本を読んでいます。けれども書く人によって戦争に関わった人の評価が全然違います。そして疑問もたくさん出てきます。

 例えば真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた理由、そんな重大な時期にワシントンの駐米日本大使館では一等書記官の送別会があり大使館員達は出払っていたとのこと。暗号解読とタイプを打つ人が不慣れな為に間に合わなかった。ご粗末な話です。この緊迫した時期にのんびりと送別会をやっていたとは。騙し討ちという汚名をきせられ始まった戦争、短期に終結させるつもりが4年もの歳月がかかってしまいました。上に立つリーダーの考え方や情勢をみての判断力が歴史を変えて行きます。4年の間に何とか戦争をやめる手立ては無かったのでしょうか。今も毎日毎日ニュースが悲惨な状況を伝えておりますが、やめない限り犠牲者は増え続けます。1日も早く終結して大切な命を守ってほしいです。

 今の教育の中でもっと日本史、世界史に力を入れてほしいです。1192(いい国)つくろう鎌倉幕府なんて年号を一生懸命に覚えましたが、もっと大事なことは過去にどんなことがあって今があるのか。例えばなぜ戦いは繰り返されてきたのか。そういった本質について勉強できたらと思います。