父ちゃん、早く帰ってきて一緒に住もうよ

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

 人生で一番高い買い物はなんと言っても3年前に造った家だ。

 不要な物が置いて無い、風がスーッと通り抜けていく家が欲しかった。夫と2人で考えて理想の家ができたと思う。欲を言えばもう少しお金があれば地下にシエルターとバリアフリーにすればよかった。

 人間は必ず老いていく。母を医者に連れて行くのにほとんど歩行が困難になったので、車椅子を家の中に持ち込んだが、私1人で車椅子に座らせるのも楽じゃ無い。重いの何のって、あんなに痩せているのに。しかし93歳の母親を72歳の娘が看るって実に疲れる。特に玄関の階段は苦労した。バリアフリーになっていればもっと楽かもしれない。必ずややってくる老いに対する対策も考えておくべきではあった。やっとの思いで車に乗せて医者に行ったら、学会で休みだって。何の学会だ、むかつく。今朝方も1時と2時半に母から、いらっしゃいませのコールで起こされほとんど寝てないのだ。私の場合、寝入りばなに起きてしまうと朝までずっと眠れなくなる。

 自分がもっと高齢になっても息子に迷惑はかけたくない。せめて老後の資金にと時給900円で3時間、週2日の早朝バイトを頑張っている。あまり足しにはならないか。母がショートに行っているときに1度ネットの求人に応募して、ベルトコンベアーで流れてくる作業に行った。ゼリー飲料の何個か入った箱に仕切りを入れる作業だ。まるでうまくいかない。すぐに違うラインに替えられた。働くということは大変だ。

 そしてこれからの物騒な時代、お金さえあればシェルターは是非とも欲しい。

 

 新居は物が少なく、どこに何があるかわかるので、昔のように探し物をする時間が減った。特に義母は人生の何%かは探し物をしていたような気がする。物を探す時、台所のどこかに藁を縛り付けてかげつけさん?とか言う神様に祈っていた。探し物が出てきたのかこなかったのかは定かではない。私にとって物を探す時間が減った事はこれからの人生にとってプラスである。物が少ないと言えば思い出すのが、NHKで放送していた、司馬遼太郎の「坂の上の雲だ。秋山好古、真之の兄弟を阿部寛本木雅弘が演じていたが、その中のシーンで2人が一緒に暮らしていてご飯を食べるときに一つの茶碗で替わりばんこに食べるのだ。そこまで物が少ないと不便ではある。しかし昔に比べて今は物があふれている。その物によって住みにくくならないように注意が必要だ。

 家を造ることが決まると、地元の業者さんに依頼した。夫と間取りを考え設計してもらった。古い家のものすごい荷物を、使う物と捨てる物に分別した。毎日のようにゴミ処理場に不要品を運んだ。解体の日ギリギリまで片付けていた。すべて物が無くなった家は広くて結構いい家だった。不要な物で住みづらくしていたんだ。

 そして地鎮祭を経て建前(上棟式)の日がやってきた。家は娘婿のお父さんが大工さんで、棟梁として中心になって造ってくれた。私達夫婦は大工さん達に10時、3時のお茶、お昼には弁当やタケノコ汁を出して接待した。そして最後まで骨組みが出来上がるのを2人で見ていた。昔の建前は最後に施主さんからお酒が振る舞われた。そして棟梁が木遣りを歌った。私は父の木遣りが大好きだ。今は飲酒運転になるのでお酒は持ち帰っていってもらっている。

 建前といえば思い出すのが、ある時、父も関係した建前があった。その時は施主さんからお酒が出なかったので大工さん達が河原で火を焚いて、川魚を串刺しにして焼いた物を酒の魚にして酒盛りを始めた。そのうちに喧嘩が始まった。軽トラックの荷台に何人も乗せて奇声をあげて走り回ったりしている。まるで運動会の騎馬戦のようだった。私達は草むらに隠れて見ていた。大人の喧嘩は初めてだったので血が騒いだ。なんで私がそこにいたのかは覚えていない。

 又話がそれるが、父はよく夜に川へ行き、投網をうって魚をとっていた。お腹の赤いじんけんと呼んでいた魚がとれた。夜一人で行くのは厭だったらしく、私を連れて行くのだ。意外に小心者だったりして。生ぬるい風が吹いてヨシがさわさわと揺れている夜の河原なんて行きたくもなかったけど、断ると機嫌が悪くなるので仕方なくついて行った。よく我が家の鍋には川魚の煮付けがあった。高校の部活を終えてお腹をすかせて帰り、鍋の蓋を取ったらナマズが髭を生やしたそのままの姿で醤油で煮詰められてあった。

 

さて、話を戻そう。 建前が終わり、いよいよ中の造作が始まった。壁紙は、床板はと頭を悩ませた。数ヶ月たって出来上がった家は満足がいくものであった。今私はこの家で快適に暮らしている。

 

 早朝バイトを終え、平原綾香の明日という曲を聴きながらコーヒーを飲んだ。自然に涙が出た。夫はこの家でまだ2年と数ヶ月しか住んでいない。でも今は病院のベッドの上だ。

「父ちゃん、早く帰ってきて一緒の住もうよ」と私は心の中で叫んだ。