私の部屋は仮の部屋

今週のお題 私の部屋 (もう期限切れちゃいました?)

 

 私の部屋はありません。2年ほど前に家を新築しました。それをきっかけにバツイチの長男が東京から帰って来てくれて同居しています。

 今のところ、2階に2部屋あり、長男と私がそれぞれ使っています。そして夫は1階の座敷で寝ています。私の93歳の母は以前大工の父が造ってくれた隣接した建物にベッドを置いて過ごしております。

 もし長男にお嫁さんが来てくれたら、私達はその古い建物の母の隣の部屋に移るつもりではおります。しかし、たとえお嫁さんが見つかったとしても同居なんか嫌じゃないかと思うんですよ。アパートでも借りて自由にやりたいですよね。

 正直私も今の部屋すごく気に入っています。東と南に窓があります。東側のお隣の庭がすごく広くてしっかり手入れされています。それぞれの季節にいろいろな花が咲き誇ります。カーテンを開けるとまるで自分の家の庭みたいです。遠くに山並みが見え季節ごとに色彩が変わっていきます。

 うーん、お嫁さんに来てもらって同居したいけど、この部屋出たくなーい。

仲良しの友達は「今頃同居なんてやめときな」と言います。まーそれは、見つかったら考えるか。昔は女の子に不自由しなかったのに最近はさっぱりだよな。会社と家を行き来するだけ。

 でも新築して一番嬉しかったことは、物が無い事。古い家を壊す時、夫と2人でゴミ処理場へ行き捨てまくりました。私は古い家で物に苦しみました。義母は物を捨てられない、集める趣味。まあ倉庫状態の中で暮らしていました。とにかく、ただでもらうのが快感なんです。ある時など見知らぬおじいさんが、タイル張りの流しのような物を背負ってやって来ました。「何ですか?」と聞くとお宅のおばあさんに持って行くようにたのまれたと言うのです。壊している家を見ていてほしくなったらしいです。最近来ませんが、高額な布団や健康食品を売る為に大勢の人を集めていろいろな日用品をただでくれるところにもよく通い、いろんな物をもらってきました。そんな物にあふれた家に夫は会社の後輩をよく連れてきました。夜遅く電話してきて、「今から行くから」うっそー、娘と一緒に茶の間の物を奥の部屋に投げ込みます。実は私も整理力の素質がありません。ある時は夜遅く連れてきて泊まることになり、いい布団がなくて子供の寝ている布団が一番程度が良かったので、それを裏返して敷いてあげました。

 義母が亡くなって31年経ちます。実に面白い人でした。歌が大好きで、私も好きだったので、よく2人でカラオケ大会に出場しました。結構どちらかが予選を通過するんですよ。NHKのど自慢の時は私が受かって義母が落選しました。駅までの道をとぼとぼと歩いていた姿を思い出します。お酒が大好きで、ちょっと飲み過ぎではあるのですが、何かの会合でお酒が出たのでしょう、向こうの方からよろよろと、変なおばあさんが古い旧式の自転車を引っ張って歩いて来る、「あれは、うちのばあちゃんだ」その当時流行っていたカツラがずれちゃってる。早く家に入って欲しい。

 義父もやはり酒飲みで、よくちゃぶ台をひっくり返していたそうです。いつでも逃げられるように寝巻き起き巻き外出着だったと聞き慣れない言葉を言っておりました。

 私が会社を退職した日に義母は赤飯を炊いて待っていてくれました。食紅がたっぷり入った真っ赤な赤飯の色が目に染みました。でもとても嬉しかったです。

 私達が新婚の頃は母屋の隣の物置みたいな所で寝起きしておりましたが、あまりのボロさで途中から母屋の座敷で寝起きするようになりました。義母達もそこで暮らしていたらしく、新婚で来た夜は畳が敷いてあったのですが次の日は片づけられたらしい、1日嫁が来るから畳をかりてきたらしいです。NHK連続テレビ小説おしんの住むような家でした。ところが母屋の座敷の隣が襖を挟んで茶の間で、義母は酔って帰ってきたりしてそこの炬燵でいつも寝てしまいます。「おまいた、おらあ全然音聞こえないから、安気にやったい」と言うのです。さすがに私も「ばあちゃん、このままじゃ子供もできないよ、2階で寝て」とたのみました。義母は納得して2階で寝るようになりました。

 義母は私が仕事に行く時やママさんバレーの時3人の子供達の面倒をよく見てくれました。私は、はたしてあんないいばあちゃんになれますかね。

「ばあちゃん、天国はどうだい? 八代亜紀の女の夢上手だったよね。歌ってるかい。うちにいい嫁さん連れてきてね。いつでも私達古い部屋へ移るからね。」