93歳の現役バレーボーラー

 今、バレーボールはネーションズリーグが開催されており、テレビで放映される日が楽しみです。男女とも快進撃を続けております。昨日の男子のイタリア戦もフルセットで勝利しました。昨日は特にサーブが良かったです。西田、石川、小野寺、山内。攻撃もセンター線が結構決まっていました。

 レシーブのいい高橋藍がスパイクを打った時、足がネットに引っかかり腰から落ち、その後コートに戻りましたが大丈夫でしょうか。しかし足がネットに引っかかるなんてヤクルトの高さもジャンプしていない私にとっては考えられません。

 女子も古賀の進歩が凄いです。攻撃が早い。井上も上手いスパイカーですね。あまり彼女のことは知らなかったのですが。石川が今は出番が少なくてピンチサーバーという感じで、ちょっと寂しそうなのが気にはなります。実力あるんだから頑張ってほしいです。

 ところで私達も先日60歳以上の大会がありました。そこでびっくりしたことがありました。ベンチにユニホームを着て高齢の方がいらっしゃるとは思ったのですが、冊子で年齢を調べてみると、何と93歳「えー? 私の母と同じ?」小柄で痩せ型ですが、背筋はピント伸びております。私は見なかったのですが、少しコートに入りサーブカットをきっちりとあげたとのことです。ソフトバレーではなくて、硬いボールです。しかし驚異的ですよね。まあ、チームメイトの皆さんも大変なこともあるかとは思いますが、それにしても、「継続は力なり」ということでしょうか。

 

 私の親戚にも93歳で頑張っているおばちゃんがいます。1人暮らしで、隣には2世帯住宅で息子夫婦が住んでいますが、ほとんど自力で生活しています。お嫁さんは気の強い人みたいです。嫁に対しての対抗意識も彼女を強くしている要因かもしれません。

 ずっと商売をやっていて、その店の看板娘?でした。今は一軒ある貸家の家賃を貰いに行ったり、買い物に行ったりと充実した毎日を過ごしているようです。家は綺麗に掃除が行き届き、玄関には綺麗な花や観葉植物が置いてあります。そして、何かこう工夫がある生活空間を演出している感じです。センスがいいんです。お茶をご馳走になった時もいろいろな漬物や煮物を出してくれました。

 色白で美人のせいか、とても若く見えます。会話の中でポジテイブ、ネガテイブと言う言葉を聞きびっくりです。私も、もし長生きできたらあんな風になりたいです。

 私の母といえば、老健にはいることができました。そしてリハビリのおかげで結構回復してきているようです。私は母が食事の時も食堂へ行きたくないと言えば、わかったと言って、ベッドまで運んでやり、眠いというのでほとんど寝かせておりました。自分も楽だから。でもかえってそれが母の老化を早め、自分の負担を増やしていたのです。施設から母の写真を頂きました。元気そうな笑顔の母が写っていました。

 

 さて、これからの人生どう生きるべきか。

 ・まず健康であること。

 ・心に張り合いがあること。

 ・継続できる何かを持つこと。

 ・社会の出来事に対して常にアンテナを張っていること。 

 

 そんなことを心がけながら、1度しかない人生、少しでも長く楽しみたいです。  

レンゲツツジとベニバナイチヤクソウ

 

 標高1,500mの高原に行って来ました。

 

 レンゲツツジとベニバナイチヤクソウが競って咲いておりました。

レンゲツツジはちょっとピークを過ぎた感じでしたが「まだまだ私は綺麗よ、早く写真撮ってよ」と言っているような気がして、急いで写真におさめました。

 レンゲツツジ花言葉を調べてみると「情熱」「堅実」です。山の緑の中でオレンジ色の花をたくさんつけたレンゲツツジはまさに情熱的です。

 

 ベニバナイチヤクソウはピンク色の可憐な花です。この地域に群生しているところもあるのですが、熊に出くわすと怖いので行くのはやめておきました。

花言葉「恥じらい」

あなたはとっても綺麗でかわいい花です。群生しているところを見たことがありますが見事です。恥ずかしがらずに堂々と咲き誇ってください。

 

 高原の爽やかな空気を思い切り胸に吸い込みました。

ああ、これが空気がおいしいということなんだと実感いたしました。

ドメインはむずかしい

今週のお題「わたしのドメイン

 

「わたしのドメイン」高齢者の私にはめちゃくちゃむずかしい。けれども私はお題が出る度に脳トレのつもりで書いているので今回もこじつけて書く。

 

 ドメインとは「インターネット上の住所」らしい。

 しかしパソコンの用語は実にむずかしい。英語は苦手なのにそればかりだ。

 

 「住所」の管理は昔はどうしていたかというと、自称歴女の私はすぐに昔の話と結びつけてしまう。

 インターネットによると「江戸時代のお寺の役割として、もともと寺院は、布教の場だけではなく、地域における福祉や文化、教育の拠点の役割を担っていた。江戸時代には宗旨人別帳によって、すべての人が寺院に所属していた。」徳川幕府による寺請制度があって、お寺が管理していたのだ。しかし、そうでない人達もいた。

 昔、松本清張の無宿人別帳という本を読んだ。罪を犯し、人別帳から除外された無宿者の話だ。内容は忘れてしまったが牢屋の中に大勢の罪人がいて、その中でも古参の牢名主という者が威張っていて、高々と布団を積み上げた上であぐらをかき、新入りが入って来たらどうしてくれようと、目をギラギラさせて待っているような場面がふと目に浮かんだ。

 現代は戸籍は市役所でしっかり管理されて便利な時代になった。

 

 今年確定申告の会場に行ったら、去年はパソコンで教えてもらったのに、今年はスマホでやって下さいとのこと。小さな画面に数字を入力していくのは楽ではない。「高齢者なのでわかりません」と大きな声で言うと、「大丈夫、できてます」と言う。何回も手を上げて呼ぶと「一応内容を読んでから呼んで下さい」とうちの息子と同じようなことを言う。周りを見渡すと私と同年代位の人達もおとなしく冷静に頑張っている。立派だ。時間をかけてやっと入力が終わりに近づいた時、夫から電話がかかってきた。「でていいですか?」と聞いたら「いいですよ」と言うのでて、話し終えたら入力したものがすべて消えてしまった。泣きたくなった。家に帰って息子の力を借りてパソコンで税務署に送った。一家に一人、パソコンに強い人間は必要な時代だ。

 

 現代はすべて電子化され、ペーパーレス、印鑑不要と簡略化はされてきている。

先日、母のいとこの91歳のおじちゃんから手紙を貰った。文章力が素晴らしく、おまけに達筆だ。全く老人という感じがしない。若々しくて、ロマンチストでもある。私もあんな老人になりたいと思う。

 今の若者はラブレターなんて書かないんだろうな。メールで「愛してるよ ♡ チュ」ってな感じ。ちょっと味気ないな。

 現在の便利さに感謝する事も多々あるが、昔も懐かしい思いもある。

もし過去にタイムスリップできるとしたらどの時代がいいかな。いっそのこと平安時代、小川のある庭園で短冊に和歌なんか書いて流すのもいいね。

 

ドメインはむずかしい。私には無理だ。

 

 

 

 

 

 

ちょうふく山の山んばは我が家の愛読書

今週のお題「本棚の中身」

 

 あわてて本棚を見に行った。大工だった父に造って貰った8畳の部屋の端から端に2段の本棚が作り付けになっていて様々な本がぎっしりと詰まっている。

 日本昔話、歴史街道、バレーボール教本、金融関係の参考書、日本の伝説全集、釣りやゴルフ教本、医学関係の本、たとえばめまい耳鳴りをなおすには等、そして推理小説などの文庫本がずらりと並んでいる。

 

 日本昔話の中で「ちょうふく山の山んば」という本は我が家の愛読書だ。子供達にせがまれて何回読み聞かせただろうか。

 内容はこうだ。ある綺麗に晴れた十五夜の晩に村人達がお月見をしていると、突然雲がわき雨が降り出し、雷がゴロゴロ鳴り出し、雲の中から不気味な声が聞こえてくる。「ちょうふく山の山んばが子供産んだで、餅もってこおーツ、もってこねば、人も馬も食い殺すどーツ。」と、村人達は殺されては大変と皆で米を出し合って餅をつく。

 元気者のかも安と権六、道案内の杉山のばんばが選ばれて、山んばのところまで餅を運んで行く。けれども突然風がビューッと吹いてきて「餅はまだかあ」という山んばの声に驚いたかも安と権六は担いでいた餅を投げ捨てて、逃げ帰ってしまう。一人残されたばんばは、よいせよいせと山道を登り山んばの家にたどり着く。「ご、ごめんくだされ」出てきた山んばは恐ろしくでかい顔をしていたがやさしい山んばだった。

 山んばは、置いてきた餅を、昨日産んだマルに取りにいかせ、その後、杉山のばんばは山んばの家で、マルの子守、掃除、洗濯、ご飯の支度などせっせと働くようになる。そして産後の肥立ちの21日が過ぎてやっとこ村に帰ることができた。山んばに錦の織物を土産に貰って帰ると、村人達はばんばのお葬式をやっているところだったのでびっくり仰天。ばんばは、皆に山んばのことを話して聞かせ、錦の織物を分けてやると、次の日には織物は、また元通りになっているという不思議なものだった。それからというもの、村人達はみんな元気でしあわせにくらしましたとさ。と、そんなお話。

 山んばというと、怖い印象ではあるが、ちょうふく山の山んばは、とにかくかわいい。山んばが餅を食べているところを、本の挿絵をまねて描いたけどちょっと気持ち悪いかも。

 

 しかし、その本棚から本を取り出したのは、数年前にそれを出して孫に読み聞かせた時だけだ。その他の本は全然読んでない。これを機会に整理する必要がある。

 

 本を買うと、本が増え本棚がいっぱいになる。1度読んだ本はまず、もう読まない。今は私立図書館で借りて読んだりしている。1度に8冊くらい借りると返すのに期限が過ぎてしまい、返却して下さいと電話を貰ったこともある。それが面倒になり又本屋で本を買ったりする。

 以前私立図書館で借りた本で、「幕末下級武士の絵日記」という本があったが、当時の下級武士の生活がわかりやすくて、とてもいい本だった。その武士が藩主に意見を申し上げたら怒りを買い、外出禁止を申しつけられる。けれども、友達も沢山いて自分の家でも他人の家でも飲み会がやけに多い。金がなければ質入れしてでも酒と肴を買い皆をもてなす。そして、いつもお寺に入り浸っている。当時のお寺は皆の拠り所だったようだ。筆1本で書かれた絵が当時の様子を連想させる。血なまぐさい印象の幕末もあんなのんびり暮らしていた人達もいたんだ。金は無い、あるのは暇ばかり。

 今のせちがらい面倒くさい世の中に比べたら、何か幸せそうだ。

 

本を読むと他の人の人生も体験できる。

我が家の本棚もこれを機に整理して生きた本棚にしようと思う。

 

 

私の夏は化け猫騒動で始まった。

今週のお題「夏物出し」

 

 夏と言えばお化けの映画だ。家から歩いて30分くらいの所に映画館があった。小さい頃祖母と見た化け猫騒動の映画は強烈に覚えている。ネットで調べると「怪談佐賀屋敷」1953年公開、主演入江たか子とある。私が3歳の時だ。化け猫が出る度に怖くて怖くて祖母の胸元に手を入れて(当時の祖母の服装は着物に、頭は長い髪を後ろで縛って団子状に丸めた、おばあさんスタイルの定番だ。)垂れた乳をつかんだり、引っ張ったり、あるいは乳が出ないのにしゃぶったりしていたのを覚えている。しかし人生1発目に見た映画が化け猫騒動だなんて何てことだ。幼子にそんな映画を見せる祖母の感性はいったいどうなっているんだ。

 浅丘ルリ子小林旭絶唱も見た記憶がある。その後、その映画館はストリップ劇場になった。

 

 夏の風物詩といえば蚊帳がある。蚊帳をつって家族皆で川の字で寝た。何とも落ち着く空間ではあった。宮崎駿の映画、となりのトトロの中で、サツキとメイが蚊帳の中で寝ているシーンがあるが、廊下の雨戸が開いたままだ。ゆったりした良き時代だったのだろうか。今では戸を開けたままで寝るなんて物騒で考えられない。

 渦巻きの蚊取り線香の匂い、簾をかけた窓で風鈴がチンチロリンと鳴る。うちわ、何々酒店とか宣伝用によく貰った。大工の父が黒いはっぴを着て首には日本手拭いをかけて、うちわで扇いでいた姿を思い出す。

 かき氷、氷水と言っていたがよく食べた。ただの粉砕した氷の上にイチゴ、レモン、メロン、ミルクと称して多少の匂いがついているが、赤、黄色、緑、白のシロップをかけたシンプルなものだ。だんだんこめかみのあたりが痛くなってくる。でも旨かった。

 

 花火もやった。線香花火は好きだった。バチャバチャ、バチャバチャと音がして最後は小さな玉になり、ぽとっと落ちる。

 

 夏と言えば朝顔だ。加賀千代女の俳句で朝顔に釣瓶とられてもらいみず」という句がある。朝顔が井戸の釣瓶に巻き付いてしまったが、取るのもかわいそうなので、お隣に水を貰いに行こうという句だ。夏の朝の情景が伝わってくる。

 

 さて、私はこれから、何回夏を迎えられるだろうか。ただただ暑いと、うなっているだけでなく、夏の情緒を感じる演出をして夏を楽しまねばと思う。

映画ナラタージュを見て思うこと

 久しぶりに映画ナラタージュを見た。監督、行定勲、主演、松本潤、そして有村架純

 高校の演劇クラブの顧問の葉山貴司、1人孤立している高校3年生の工藤泉、泉が葉山に演劇部に誘われてから2人の恋が始まる。

 ナラタージュとは映画などで、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法と書いてある。雨降りの日、映画の配給会社に勤めている泉が、まだ1人残っていると同僚の男性(瀬戸康史)がずぶ濡れになって帰ってくる。泉はタオルを出して男性に拭くように奨める。雨が降る日にはいつも泉が懐中時計を出して眺めているのを見ていて、男性が好きな人から貰ったものかと尋ねる。そして泉の回想シーンが始まる。回想シーンのせいか、映画の色彩が全般に抑え気味というかレトロな感じがする。

 葉山には別れて暮らしている妻がいる。葉山の母との同居で神経をすり減らしてしまった妻は自宅の物置に火を付けて、姑がいる母屋にも火をつけるつもりだったようだ。心を病み今は実家で暮らしている。そんな妻をわかってやれなかった自分を葉山は責めている。泉が葉山に「奥さんとは別れたんですか?」と尋ねた時、葉山は、はっきり「別れた」と答えた。卑怯な男だとは思うけど、そこで妻とは別れていないと言ったら、泉が離れっていってしまうのが怖かったのかもしれない。泉は葉山の逃げ込む場所だから。

 とにかくお互いに好きなんだけど、どうしようも無い歯痒さが伝わってくる。有村架純の目がいい。「目は口ほどにものをいう」ということわざがあるが、まさに彼女の目はうったえている。

 富山がロケ地だったようだが、特に葉山の自宅のある場所は川や橋があり素敵だ。時々古い映画館もでてくる。そして古い映画を上映している。ちょっとニュウ・シネマ・パラダイスを思い出した。たまたま映画館で帰りが一緒になり、2人で相合い傘で帰って行くシーンがいい。最後のラブシーンは強烈だった。でも綺麗。

 ハッピーエンドで終わる恋もあれば、叶わぬ恋もある。葉山と泉の恋はきっと心の片隅に宝物として生き続けるのかもしれない。

鎌倉殿の13人

 私は毎週NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ている。しかし最近は悲しい話ばかりだ。先週は義経が死んだ。昨日は義時の妻の八重が川でおぼれそうになった子供を助けようとして流されて死んだ。来週は伊豆から帰った義時が嘆き悲しむことが予想される。

 ドラマの冒頭は源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻めた時に、泰衡の家来が手柄ほしさに主君の首を持って来たら、頼朝が怒って打ち首にしてしまった。

 昔、平泉に旅行した時、金色堂を見て資料館で泰衡の首を入れたという桶を見た。誰の物かは忘れたが、頭の形に窪んでいた箱枕が展示されていたが気味が悪かった。

 頼朝は自分の地位を脅かされたくないのか、腹違いの弟の義経を滅ぼし、範賴という弟も死に追いやってしまう。

 そして因果応報か、自分の子供達は暗殺されたり、若くして亡くなったりしている。北条政子も子供に先立たれたり、夫の浮気やら何やら苦労が絶えなかったと思う。大河も物語なのでどこまで歴史に忠実かはわからないが、だいたい、あんな感じだったのだろう。

 しかし日本史も、ずーっと戦いの連続だ。今はウクライナで1日に50人から100人の人が死んでいるという。過去の過ちを繰り返していいのか。戦いの無い世の中はいつ来るのだろうか。